普段は「今の家づくり」に全力を注いでいますが、ふと立ち止まった時、自分たちが立っている場所がどのような過去の上に築かれたのか、意外と知らないことが多いことに気づきました。
そこで、入政建築の過去を知っている人に集まってもらい、ルーツを探る機会を設けました。
集まってくれたのは、初代・新野國五郎の娘、二代目・政治の妹である池谷なみゑさん、
二代目の娘であり、三代目・達治の姉である原田久代さんと、二代目の頃から45年ほど、入政建築一筋の河合大工です。
ここで、印象的だった話をいくつかにわけて、発信していきます。
3回目は、「図面は板書と頭の中に。職人の魂と情熱を知る。」
暮らしをつくろう。大切な人との時間を豊かに。
4代目の新野恵一(にいのけいいち)です。
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「最近の大工は、図面通りに組むことは得意だが、自分たちで板金を曲げたりコンクリートを打ったりすることはないからね」
入政建築で45年以上も腕を振るい続けている大工、河合さんはそう語ります。
今回の歴史インタビューで浮き彫りになったのは、かつての職人たちが持っていた「圧倒的な多能工としての力」と「造り手としての意地」でした。
すべてをこなす「万能の職人」たち
現代では、大工の仕事と、板金やコンクリート打設などは、職人が別れているのが一般的ですが、昭和40年代、大工の仕事の幅は今よりずっと広いものでした。 屋根の板金、建具の調整まで、大工が棟梁としてすべてを差配していました。
河合さんによれば、一週間ひたすら板金仕事だけをすることもあったそうです。
そんな万能職人たちを束ねていた二代目・政治は、まさに「見て覚えろ」を地で行く人でした。
手取り足取り教えるのではなく、背中で語る。
その「厳しさ」と「おおらかさ」があったからこそ、入政建築からは多くの優秀な職人が育っていきました。

大窪神社に込めた「名前を残す」という意地
入政建築の歴史を語る上で欠かせないのが、地元の「大窪神社」の社殿造営です。
平成の初めに行われたこの大きな仕事において、二代目政治は並々ならぬ情熱を注ぎました。
驚くべきことに、複雑で立派な社殿を作るのに、詳細な設計図面は存在しなかったといいます。
あるのは板に書かれた大まかな絵と、政治の頭の中にある完成図だけ。
政治は「これは赤字になっても構わん。入政の名前を後世に残すための仕事だ」と言い切り、何度も伊勢など各地の神社を視察しては、細部の意匠を練り上げたと聞きました。

結果的に、この仕事を最後に二代目政治は、現場の第一線から退いていきました。
職人としての「名前」を背負う
「名前を残す」この言葉に、職人としてのすべての誇りが凝縮されています。
自分がいなくなった後も、その建物が地域の人々に愛され、そこに入政の仕事の跡が刻まれていること。 それこそが職人にとって最高の報酬である、という考え方。
建築の仕事は、ここが面白し、誇り高い仕事です。
今の時代、そんなやり方は非効率だと言われるかもしれません。
しかし、ぼくたちがリフォームやメンテナンスで古い家に入った時、かつての職人たちの「丁寧な仕事の跡」を見つけると、時代を超えて対話をしているような感覚になります。

効率や数値も大切ですが、最後は、実際ものをつくる職人の「意地」と「誇り」なんですよね。
二代目 政治が大久保神社に込めたあの情熱を、ぼくたちは様々な方に寄り添いながら、一つ一つの仕事を丁寧に進めていきたいと強く感じたのでした。







