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4代目 なぜ、継ごうとしたのか。 幼少期~高校 サッカーに夢中編

2022.09.02

入政建築4代目の新野恵一です。

入政建築の歴史は、昨日のブログでお伝えしたところです。

詳しは、こちらへ。→https://www.irimasa.net/archives/8368

幼少期~高校 サッカーに夢中。

2歳のとき。かわいい。。。

3歳!顔がひどいw いや、それよりもこの1年で相当太ったな!!!

小さなころに、「肥満」体系です。と病院の先生に言われ、サッカーをはじめました。

当時、浜松にはPJMフューチャーズ(今は、サガン鳥栖)というサッカークラブがあり、そこでサッカーをはじめました。

カズや、ラモスが浜松にきてたなぁ!

そのころ、バブル期で、仕事も順調で、不自由ない暮らしをさせていただいていました。たぶん。

サッカーをはじめ、大工仕事を見る機会も減りました。

長期休み中に、父に連れられ現場掃除を手伝う程度です。建築に興味は、全くありませんでした。

小学生になり、3年生くらいから、本格的にサッカーをはじめます。(Jリーグ開幕は、小学校2年生で、空前のサッカーブーム!)

友達からキーパーをやれ!言われ、しぶしぶキーパーを始める。(実は、フォワード志望)

これが、意外と楽しい。練習すればするほど、うまくなる。どんどんのめり込みます。市のキーパートレセン?みたいのにも、選抜され練習にいってました。(実は、EXITのりんたろー。くんもここに参加してたのです。)

中学時代は、サッカーだけやっていました。毎日練習練習。練習しない日が、怖くなる(下手になるのではないか。。。)感覚です。

中学時代は、メンバーがすごく少ないサッカーチーム(神久呂中学)。しかし、みんな一生懸命やってた!

けど、フットサルの大会で市内2位になりました!あのときはうれしかった。

高校は、藤枝東に進学。ぼくたちの代は、同学年にキーパーが5人いました。みんな優秀なキーパーたち。

華々しい先輩たちに比べ、僕たちの代は、落ちこぼれ扱い。

「サッカーがうまいだけではだめ。」人として成長しないと、いけないことを学びました。(というより、あとになって、そういうことだったんだと気づきました。

身長165センチしかない僕は、必死に食らいつきましたが、なかなか芽が出ず。

サッカーを諦めます。

サッカーを諦めたとき、次に必死になれるものをすごく探しました。(必死になれるものに、すがりながら生きてくことしかしらないので。)

その中で、入政建築が転換期を迎えます。OMソーラー協会に入り、事務所もオシャレにリフォームをしたのです。

今の事務所は、その当時にリフォームしたもの。今でも木のぬくもりあふれる空間は色褪せません。

大学にはいきたい。

サッカーで頑張ってきて、先生たちにもいっぱい教えていただいたので、

「先生になろう!」と思いましたが、友人から助言が。

教育方面に進学するより、家業の建築をやったほうが後々、選択肢が増えるのではないか。

その通り!と考え、オシャレなことをやっている父親の会社に興味を持ちました。

オシャレってかっこいい!こんなオシャレなものを提案できるようになりたい。

つくれないけど。

そうなんです。小学校~高校まで、サッカー一筋だったので、大工作業ができないことがわかっています。

おまけに、不器用。ただ、絵を描くのは、好き。(上手ではない)

提案はできるな!と「設計」という職種に憧れを覚え、

当時文系から入れる、建築学科は、2校しかありませんでした。(近畿大学と日本大学)

日本大学生産工学部建築学科に入学します。

ここから、ようやく建築のお話。

まだまだ、継ごう!なんて一切考えていません。

大工よりも、もっとオシャレなことをしたい!と思うだけ。

父(3代目)も「継げ!」「継いでほしい」なんて言いません。

次回へ。


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