普段は「今の家づくり」に全力を注いでいますが、ふと立ち止まった時、自分たちが立っている場所がどのような過去の上に築かれたのか、意外と知らないことが多いことに気づきました。
そこで、入政建築の過去を知っている人に集まってもらい、ルーツを探る機会を設けました。
集まってくれたのは、初代・新野國五郎の娘、二代目・政治の妹である池谷なみゑさん、
二代目の娘であり、三代目・達治の姉である原田久代さんと、二代目の頃から45年ほど、入政建築一筋の河合大工です。
ここで、印象的だった話をいくつかにわけて、発信していきます。
2回目は、「「地域密着・半農半大工」という生き方」
暮らしをつくろう。大切な人との時間を豊かに。
4代目の新野恵一(にいのけいいち)です。
(*タグで絞り込み→「4代目」を選択すれば、ブログがのぞけます。)
地域に根ざし、土地と共に歩んできたのが、ぼくたちのルーツ。
入政建築の歴史を紐解いていくと、現代の私たちが見失いかけている、非常に豊かな「暮らしの原風景」を発見することができました。
中でも特徴的と言えるのが「半農半大工」というかつてのライフスタイル。

職人と家族が一体となった暮らし
昭和の中頃まで、入政建築は現在の事務所周辺に広大な夏みかん畑や田んぼを持っていました。

*ここの畑は、いまだに持っていますが、畑をやりたい方に、貸しています。こうやって管理していただいてることに感謝です。
大工仕事が本業ではありましたが、季節になればお弟子さんも総出で農作業を手伝いました。
なみゑさんが語ってくれたエピソードがあります。
彼女がまだ小学生の頃、学校から帰るとまずやることは、作業場で働く若い弟子たちのために「おやき」を焼くことでした。
小麦粉を練り、刻んだ沢庵を具にして、おくど(竃)で焼く。
その香ばしい匂いに誘われて、職人たちが休憩に集まってくる。
そこには「経営者と従業員」といったドライな関係ではなく、一つの大きな家族のような共同体があったのです。
土地の記憶を刻む家づくり
夏みかん畑や、野菜、米などの農産物をつくって出荷する。
そんな「土に触れる暮らし」をしていたからこそ、先代たちは地域の風土を肌で理解していたのだと思います。
どの方向に風が吹き、どの時期に雨が多いのか。
地元の木を使い、地元の気候に合わせた家を建てる。
それは知識として学ぶものではなく、日々の農業や生活の中から自然と身についた「知恵」だったのかもしれません。
「地域密着」の本当の意味
大工の河合さんが「昔は大工といえば『大工様』と呼ばれ、地域の困りごとは何でも解決する存在だった」と話してくれました。
営業活動などしなくても、飲み屋で隣り合った縁で仕事が決まったり、お祭りの屋台をつくらせていただいたり。

*昭和16年(1941年)に完成した屋台は、2026年現在も、使われていることは、ぼくたちの自慢の1つ。
地域の人たちの顔が見える範囲で、誠実に仕事をする。それが「入政建築」のスタイルでした。
現在は分業化が進み、大工が農作業をすることはありません。
しかし、私たちが今も大切にしている「家守り」としての精神は、この「半農半大工」の時代に培われたものだったんだろうと推測します。
家を建てることは、その土地の物語の一部になること。
職人たちがみかん畑の傍らで汗を流していた頃の空気感を、私たちは現代の家づくりの中にも、温かなエッセンスとして残していきたいと考えています。







